大江健三郎は悪文作家の批判がついて回る。
作家で大江健三郎は悪文家で、文言評論家で小林秀雄もまた悪文の名手で大江と小林が嫌い!と露骨に嫌悪感を示す人も多い。
とはいうものの学生時代に大江健三郎の『死者の奢り』や『飼育』が好きで『個人的な体験』や『万延元年のフットボール』まではついていけたので好きだったという人は多い。
初めから悪文を書く知識ひけらかしのぺダントリーな衒学趣味の難解な小説を書く大江健三郎ではなかったことも自分は知っている。
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ノーベル賞作家の大江健三郎を考えるブログ。自分なりに作家・大江健三郎を考えたことの考察というか研究ノート。
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丸山健二の場合は、作庭とかバラ造りの様子を読むと、自力自努力でゼロから生の現実を反映させながら、意図的な量質転化を図ろうとしていると、私は見ている。知らないところから始めている。
大江はそうではなかった。知らないところからではなく、出来上がったものの考え方である戦後民主主義を信じたし、ポーだのエリオットだのサルトルだのというこれも出来上がった文学、他人様の認識を吸収したのである。
大江は東大生時代からもう職業作家になって、文壇で寵児になった。文壇だけでなく、社会党あたりのサヨク勢力からも引っ張りダコになった。原爆反対、ベトナム戦争反対、冷戦反対、沖縄基地反対、原発反対といった運動につねに「文化人」代表として名を連ねてきた。
彼は一度も農業とかサラリーマンとか、外界と格闘する職に就いたことがない。
ほとんど運動もしないで、机にかじりついたままと言っても言い過ぎではない。
作家は得てしてそうだが、三島由紀夫も同じようなもので、まっとうな外界を反映し損ねているのに、それを周囲が文学だからいいじゃないか、と認めてしまっ たのが悲劇であった。
丸山健二と大江健三郎の文学の対比を試みる(2/2)