大江健三郎研究ノート

ノーベル賞作家の大江健三郎を考えるブログ。自分なりに作家・大江健三郎を考えたことの考察というか研究ノート。

大江健三郎を逆恨みした本多勝一の晩年の凋落


 左翼で本多勝一の大江健三郎批判は左翼陣営でも杜撰で幼稚で呆れてものがいえない態度ではなかったのか?

 理由は大江健三郎や文芸春秋社や新潮社という右翼反動で原発擁護と反核運動つぶしの出版社から大江健三郎が本を出したり、芥川賞の選考委員になっているので大江健三郎は許せない!という幼稚園児とほとんど変わらない批判である。

 『週刊金曜日』でも本多勝一の大江健三郎批判に井上ひさしも呆れていたし、佐高信もまた呆れてもいたのではないか?


 『核戦争の危機を訴える文学者の声明』をめぐる大江健三郎批判への批判 1982年に小田実・小中陽太郎・中野孝次が中心となって『核戦争の危機を訴える文学者の声明』(後に岩波ブックレットから公刊)が発表された。

 この声明には大江健三郎も呼びかけ人に加わっているが、それに対し本多は、反核運動に批判的であるばかりか軍備拡張に熱心な意見に賛同している文藝春秋から文学賞(芥川賞・直木賞など)を貰ったりその審査委員をするなどして協力しているのは「体制・反体制の双方に『いい顔』をみせる」非論理であるばかりか利敵行為ですらあると批判。

 大江に公開質問状を送った(大江は何も回答せず)。 但し、この声明の呼びかけ人の中には大江以外にも井伏鱒二・井上靖・井上ひさし(後に「週刊金曜日」の編集委員になっている)・生島治郎・堀田善衛といった芥川・直木賞の受賞者が名を連ねているし、賛同者に至っては司馬遼太郎など明らかに文春に近い文化人・文学者が大勢名を連ねている。

 このことから本多の批判はむしろ内ゲバに近いのではないかという批判も少なくない。

 なお、本多は大江がノーベル文学賞を受賞した際にも「週刊金曜日」誌上で集中的に批判的に取り上げているし、大江が九条の会の呼びかけ人の一人になった時にも、エッセイ『貧困なる精神』で名指しこそしないものの会自体に疑問を投げかけている。

 [文学]大江健三郎をしつこく批判するジャーナリスト

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大江健三郎と北朝鮮と韓国と在日社会


 大江健三郎といえば北朝鮮を擁護する作家であり、拉致事件で横田めぐみさんを北朝鮮が拉致したことに沈黙した卑劣な作家という批判が今も根強い。

 確かに大江健三郎は北朝鮮よりの作家で岩波書店の安江良介と懇意にしていたのもあるから自然と北朝鮮寄りの考えで北朝鮮が韓国より優れた国家で優位性に立つ社会主義国家のようには思っていたのは事実だ。

 大江健三郎の昔の北朝鮮を賛美する発言で右翼やネトウヨが大江健三郎のインチキが北朝鮮の独裁体制を無条件に賛美していてノーベル文学賞を大江にやるべきではない!と批判もしているのではあるが。


二十歳の日本人「厳粛な綱渡り」( 文藝春秋刊・昭和四十年 )

北朝鮮に帰国した青年が金日成首相と握手している写真があった。

ぼくらは、いわゆる共産圏の青年対策の宣伝性にたいして小姑的な敏感さをもつが、それにしてもあの写真は感動的であり、ぼくはそこに希望にみちて自分およぴ自分の民族の未来にかかわった生きかたを始めようとしている青年をはっきり見た。

逆に、日本よりも徹底的に弱い条件で米軍駐留をよぎなくされている南朝鮮の青年が熱情をこめてこの北朝鮮送還阻止のデモをおこなっている写真もあった。

ぼくはこの青年たちの内部における希望の屈折のしめっぽさについてまた深い感慨をいだかずにはいられない。

北朝鮮の青年の未来と希望の純一さを、もっともうたがい、もっとも嘲笑するものらが、南朝鮮の希望にみちた青年たちだろう、ということはぼくに苦渋の味をあじあわせる。

日本の青年にとって現実は、南朝鮮の青年のそれのようには、うしろ向きに閉ざされていない。しかし日本の青年にとって未来は、北朝鮮の青年のそれのようにまっすぐ前向きに方向づけられているのでない。

「わがテレビ体験」( 「群像」昭和36年3月 )

結婚式をあげて深夜に戻ってきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、スウィッチをいれる、画像があらわれる。

そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。

それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る…。このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というよ うなとりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった。

「あいまいな日本の私」( ノーベル賞記念講演(ストックホルム) )


 広島、長崎の、人類がこうむった最初の核攻撃の死者たち、放射能障害を背負う生存者と二世たちが--それは日本人にとどまらず、朝鮮語を母国語とする多くの人びとをふくんでいますが-ー、われわれのモラルを問いかけているのでもありました。

売国奴列伝 大江健三郎 北朝鮮はバカどもにかつてどのように語られたか
 
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大江健三郎の小説の魅力は詩の引用の想像力か?


 大江健三郎といえば詩の引用から作品の構想を膨らませる作家でもある。

 特に詩の引用が多くなるのは『万延元年のフットボール』を書き終えた後の作品では特にその傾向が強い。

 『新しい人よめざめよ』あたりになると詩人のウィリアム・ブレイクの詩から自分と障がい者の息子の大江光の話を機軸にして小説が続くようになって詩の引用から作品を書く小説家というモティーフが一気に固まった感じでもある。


また、特徴的なことであるが、実は、大江氏は極めて「詩人的」な作家でもある。

実際、大江氏の作品の表題の大半は、T・S・エリオットとか、オーデンとか、ブレイクとか、ポーとか、イェイツなどの詩のタイトルからの引用なのである。

「引用」ということも、大江氏の作品では重大なテーマである。

大江氏は、引用される側のその書き手たちを、そのまま書き写すことで、いわば自分のエクリチュールの魂に、その書き手の魂を同化させようとするのだ。
彼がパロディをしない理由はまさにそこである。

彼は魂に、他者のテクストを刻み付けることで、それを自己消化→自己昇華するという作法を持っている。

したがって、彼が引用する詩人たち、或いは作家たちは、いわば彼と同じ魂の傷付き、負い目などを宿していることが多くなるのである。

「ひとつのかたまりをなすイメージを紙に書きつけ、いったん書きつけられたイメージを読みかえして、自由にそれをつくりかえて行く。」

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