大江健三郎といえば悪文で難しい文章が嫌い、という批判が強烈にある。

 もちろん政治的に大江健三郎は憎むべき反日作家であり、日本を貶めていることが嫌いな人は過激な大江健三郎批判を繰り返すのはしょうがない。

 もちろん大江健三郎のリベラルな左翼的発言が好きな人もいるが、どうも大江健三郎の小説は悪文というか難解で好きではないのはいただけない、という意見もある。

 とはいうもののコアで熱心な大江健三郎の小説の愛読者はいるようで『死者の奢り』や『飼育』や『万延元年のフットボール』だけは愛読書でノーベル賞を受賞したのも当然ではないか?という意見は理解できる。

 障がい者の息子の大江光の体験を書いた『個人的な体験』も良作で大江作品の魅力をじわじわ覚えた人は大江健三郎は魅力的な作家と評価して書斎も凝るらしい。
  

 下のつづき。大江健三郎、大西巨人、金井美恵子など。大江健三郎はまあいいとして、大西巨人『神聖喜劇』は読んだほうがいい、というか読むべきだ。

 ところで現在執筆中の小説だが、110枚ほどになった。

 たったそれだけ書くのにいったい何ヶ月掛かったのだろう。遅々とした歩みで一向に進まないからもどかしい。

 その割に代わり映えしないから、もどかしさは増すばかり。何かが足りないのだが、その何かが分からない。もちろんストーリーなどではない。そんなも のは最初から求めていないのだから。それが何なのかは書き終わったときに分かるのかもしれない。

 

 とにかくまだ終りそうにない。まあ誰も待ってなどいないだろうが。


 何かが足りない。

 どうも小説の同人誌をやっていて原稿を書いているセミプロのような人だが大江作品は文庫本で全部、制覇してマニアックな読書人ということにはこだわりがあるらしい。

 特に難しすぎる『同時代ゲーム』が目を引くが、人によってはトラウマ。

 とはいうものの初期作品の『死者の奢り』と『飼育』は外せないし、『性的人間』もまた暗く訴える情念がまた素晴らしいと判断しているのだろう、とは自分も分かる。

 特に大江健三郎の最高傑作といえば『万延元年のフットボール』という人も多いし、確かに自分もその辺の感覚は理解できるのだが。

 大江健三郎の作品はすぐに分からないが、徐々に理解できるようになると愛読者は熱心に読むというかゆっくりと読書人的に評価するのだろう。

 私は大江健三郎の作品は読書人的な知識人向けの作品だと思う。

 大江健三郎の作品や小説はすぐに性急に理解する必要はない、が10年、20年という読書体験を得て全貌が理解できる作品ではあるまいか?