難しい大江健三郎作品であるが、人によっては初めから好きな作家になってしまったのが大江健三郎という意見もある。

 もちろん大江作品で高学歴で有名大学の文学部の人が理解しやすい、というのもあるが、もちろん偏差値の低いFランク大学で社会福祉などを学んでいて障害者福祉に興味がある、となれば『個人的な体験』を読み終えてドフトエフスキー的な感動、ということも味わった人もいる。

 一律に大江健三郎は高学歴で敷居の高いエリート向け作家、と決め付けるのも早急な話だろう。

 人にとっては難解小説の『同時代ゲーム』がベスト作品という評価もあるし、『同時代ゲーム』は嫌いだが、初期作品の森林冒険談は好きだった、という意見もある。
 大江健三郎の読まれ方

 うまいまとめがあると大江作品の魅力もかつて投げ出した人も再発見ということであろうか?

 
 大江健三郎は、現存する、最大の顰蹙(ひんしゅく)作家である、とぼくは考える。

 例えば、戦後民主主義へのナイーヴな信頼や、政治的アクションへの止(や)むことのない参加は、高度資本主義下の日本人の多数にとって、顰蹙ものである。

 さらに顰蹙をかうのは、その作品だ。

 外国の作家や詩人の引用ばかりじゃないか、自分と自分の家族や友人と自分の過去の作品について書かれても興味持てないんですけど——等々。
 
 さようなら、私の本よ! 大江健三郎著 「小説への信」を失わぬ作家の叫び

 作家で明治学院大の教授でもある高橋源一郎が大江健三郎は現代の顰蹙作家である、と評しているが、政治的な発言で反日作家で国賊・大江健三郎!と売国奴呼ばわりする一方で、大江の政治的発言を評価する人もいる。

 ノーベル文学賞の大江健三郎の作品の文章こそが美しい文章で海外の世界文学で魅力がある作家の証明であると高く評価する人がいる一方で、大江健三郎の文章こそ悪文であってインテリが大衆を侮辱したような自己陶酔のぺダントリーであり、大嫌いな文章であって難解という評価もある。

 個人的にいえるのは大江健三郎という作家が政治的発言や小説の難解さやノーベル賞のスタンスでいやがうえにも肯定者も批判者も注目しなければならないトリックスターのような立場でもあるのではないだろうか?

 最近は『水死』という長編小説を書いた大江健三郎。79歳になってもまだ、筆は衰えを見せてはいるが、書くことに対するこだわりは消えないようだ。

 最近はブログで大江健三郎の良さも悪さもよく読んでみれば理解もできる環境もあるのだろうし、じっくりと大江健三郎はどのような人間であり、作家であるのか?も考えるチャンスもあるのではないだろうか?