大江健三郎の芥川賞の受賞作は飼育である。

 四国の山に戦時中にアメリカ軍の戦闘機が墜落して黒人兵をよそ者のように排除して差別の視線で見る人間の偏見や差別心をあぶりだした名作である。

 大江健三郎の作品で異物排除というか自分の住んでいる愛媛の森の小説となれば『飼育』のイメージが忘れられないという人もまた多い。


 僕と弟は、谷底の仮説火葬場、潅木の茂みを伐り開いて浅く土を掘りおこしただけの簡潔 な火葬場の、脂と灰の臭う柔かい表面を木片でおきまわしていた。

 谷底はすでに、夕暮れと霧、 林に湧く地下水のようにつめたい霧におおいつくされていたが、僕たちの住む、谷間にかたむ いた山腹の、石を敷きつめた道を囲む小さい村には、葡萄色の光がなだれていた。

 大江健三郎の『飼育』には大江健三郎の屈折したアメリカ・コンプレックスが凝縮しているという。


戦中・戦後の日本人の立場、気持ちが良くわかる。あるいは作者のアメリカに対する姿勢が。ここに収められている短編はどれも衝撃的で閉塞感がある。

今更僕 が言うまでもなく芥川賞などを受賞している傑作の作品群。

何と言うか読んでいて行き場の無い感情が湧いて来て沸騰しそうでした。死者の水槽。動かない足。 黒人兵の飼育。羊。唖。脱走兵。どれも暗い話なのですがそれでもぐいぐいと読まされる。

見てはいけないものなのに目が離せない感覚に似ている。閉じられた 場、主人公の感覚が闇の中の燐光のように伝わってくるようだ。臭いたつほどに。

 死者の奢り・飼育の感想・レビュー(1525)


 アメリカは天皇制を温存して戦前からの制度は維持されたままの大江健三郎の不満と民主主義を与えてくれるアメリカへの救世主というか肯定的な評価も大江健三郎はある種のトリックスターのように考えていたのではないか?

 もちろん政治的な読み方をすれば『飼育』は戦後のアメリカのGHQと民主主義の矛盾をよく表現した作品でもあるが、今、私が思うのは大江健三郎の異物排除の物語が『飼育』にはよく表現されているということが敬服に値する。

 例えば『飼育』の黒人を日本社会の在日朝鮮人や同和問題やアイヌ民族でもいいし、LGBTの性的少数者でもいいし、右翼が多い保守的な地方で『赤旗』を支持している日本共産党の支持者とか・・・

 あるいは左翼が多い都市で国士館大学や学習院大学で学歴で『飼育』の黒人兵のように注がれる差別的というか拒絶的な冷たい偏見の目・・・

 もちろんエホバの証人のようなカルト宗教の信者もまた『飼育』の黒人兵のように異物とか異端として排除されるし、障害者もまた『飼育』の黒人のように排除されていく光景が大江作品の初期短編では徹底して書かれる痛々しさが鋭い短剣のように読者に突き刺さる。

 人間社会の消えることがない偏見と差別心の根の深さを考えるような作品を大江健三郎は『飼育』で書くことに成功してその体験は『万延元年のフットボール』につながっていく。

 大江健三郎の中に『飼育』のような異物排除の壁をどう克服するか?とか、差別や偏見の深い人間社会の矛盾を残酷なまでに考えさせる作品が多く、大江健三郎は閉鎖していた日本の村社会を考察する作品も見事に描いた作家でもあった。

 冒頭の書き出しも普通の作家では思いもつかない森の中の火葬場というか被差別部落の死のイメージというかそこから黒人兵のマリーの悲しい差別と偏見に連鎖するような書き出しで大江作品の自分の故郷を物語る印象深い話で読後感は忘れられない。