大江健三郎は初期作品に『他人の足』という障がい者施設で脊椎カリエスの話を書いている。

 『他人の足』は社会とは隔絶された障がい者施設に新左翼というか左翼思想が侵入していて穏やかな空間が一気に崩壊する痛い話でもある。

 左翼思想を障がい者解放闘争のように持ち込んだ左翼の側は純粋な正義を信じているが、カリエスの障がい者の立場にすれば左翼思想は迷惑な侵入者であって自分たちの社会を崩壊させるような悪しき一撃になる話だ。

 元々、社会とは隔絶した障がい者が群れる無垢な空間に左翼が社会正義でイデオロギーを持ち込んでも救済者というより破壊者であることを大江は書きたかったのだろう。

 『他人の足』に関してはむしろ、左翼の側が謙虚にいい小説であって我々の非を認めるよな感覚だったのだから大江健三郎は鋭い短編小説を書いたのだろう。

 『他人の足』と『個人的な体験』は忘れがたい名作であると考える人もいるのも無理はない。

 僕らは、粘液質の厚い壁の中に、おとなしく暮していた。

 僕らの生活は、外部から完全に 遮断されてい、不思議な監禁状態にいたのに、決して僕らは、脱走を企てたり、外部の情報 を聞きこむことに熱中したりしなかった。僕らには外部がなかったのだといっていい。壁の中で、充実して、陽気に暮していた。

 大江健三郎は閉ざされた壁を表現する作家という印象があるが、大江健三郎の始めの作品は障がい者の立場は四国の愛媛の村のような閉塞と同じテーマでもあったらしい。

 その辺の閉じたムラ社会と同じテーマを大江健三郎は『他人の足』で表現していたが、まだ、そのことは息子の大江光は生まれてはいなかった。

 加えて大江健三郎も左翼の共産主義思想には一定数、戦後民主主義を支持するという名目で評価はしていたが、絶対的に左翼が正しい、とは思っていなかったらしく、懐疑論者でもあったらしい。

 その辺の思想的背景が『他人の足』に生かされていると思う。

 しかし、大江健三郎も息子の大江光の受難を体験して『個人的な体験』を書く頃になると、昔の『他人の足』のような左傾化した左翼思想よりは魂の救済のような宗教に近い救いを求めるような作品を書くようになる。

 『新しい人よ目ざめよ』のウィリアム・ブレイクとイーヨーの関係とか詩から救済で聖書でいえば詩篇。

 大江作品は時代とともに障がい者文学のテーマが揺れ動いてもいたが、初期作品の『他人の足』は比較的、読みやすい。

 最も今では左翼の共産主義的な障がい者解放闘争は死後で逆に悪文のように厄介で難しい話になってもいるらしいが。

 『他人の足』を書いた時に大江健三郎は息子の大江光が障碍者で生まれる不幸なども予測できなかっただろうが、皮肉にも大江健三郎自身が息子が脊椎カリエスの障がい者施設で生活する人間と同じ立場になると大健三郎は深い壁のような絶望と戦うことになる。