大江健三郎の急先鋒の谷沢永一といえば国賊とか悪魔の思想というか過激なタイトルで敵をみなした作家や文化人を日本刀で一刀両断するような過激な保守右翼というか極右的な文芸評論家だったと思う。

 
 『悪魔の思想―「進歩的文化人」という名の国賊12人』という本があるのだが大日本愛国党の赤尾敏の銀座・数寄屋橋の辻説法のように国賊は国賊ではないか?という過激な保守の理論武装という気持ちだったのだろうか?

 もちろん谷沢永一の大江健三郎は悪魔の思想家で反日作家で国賊と批判する書籍は単にネトウヨとか大江健三郎を糾弾する人間以外には見向きもしないだろうし、評論に値しないという酷評も当然だろう。

 俗にいう大江健三郎は売国奴!であり、ノーベル賞を返上して北朝鮮へ政治亡命でもすればいい、というネットや2chまとめの多くは谷沢永一の右翼本の焼き直しなのだろう。

 とはいうものの私は低劣な谷沢永一の本はお話にならない、とは思う評価なのだが、なぜ、谷沢永一が大江健三郎や朝日新聞な進歩派を国賊と糾弾していたのか?は気になる部分がある。

 どうも谷沢永一は一時期、日本共産党の党員だったこともあるらしい。本人も藤岡信勝のように共産党に入党して党活動に参加したという。
  
 しかし、武装闘争時代の50年闘争で共産党の活動に嫌気が差して日本共産党を離党した。

 その後は左翼嫌いになって保守評論家になったが、原点は日本共産党の党員であって国賊と叩かれる側だったのだ。

 個人的に谷沢永一は大日本愛国党の赤尾敏に考えが近いのだろう。赤尾敏も戦前はアナキストだったり、日本共産党の党員で熱心な左翼でもあったが、仲間に裏切られて右翼に転向した。

 谷沢永一もどうも左翼が嫌いになったのも赤尾敏のような体験もあったらしく、自分の人生を騙した左翼や共産党や大江健三郎は許せない敵であり、屈折した気持ちがあったのではないか?

 もちろん谷沢永一は右翼民族派で大日本愛国党の赤尾敏のように街宣右翼をやっていたわけではない。

 谷沢永一も右翼や政治結社とは言論で共闘もしたり、共鳴もしただろうが、行動右翼の政治的な論客より、単に毒舌を吐く言論人ではなかったのか?

 谷沢永一の書籍は国賊を許すな!とう一貫したトーンなのだが赤尾敏の愛国党のポスターにかなり似ているといえば似ている。

 もちろん谷沢永一に赤尾敏のような考えはあったし、人生は似ていたが、私は赤尾敏と谷沢永一は最後の一線で違っていたのではないか?とも思う。

 赤尾敏は現実の政治を考えて右翼の街宣車を走らせた行動右翼だが、谷沢永一は赤尾敏ほど政治に深く傾斜していたわけではなくて左翼文化人を批判することは口ではいっていただけに過ぎない、とみるべきた。

 大江健三郎は国賊と谷沢永一は書籍で毒を吐いていたが、要は自分の書籍が売れればいいという俗物根性だったのではあるまいか?

 今でいえばネットで大江健三郎批判を繰り返しているネトウヨのような感覚で書籍が売れればという態度でもあったのだろう。

 赤尾敏といえば山口二矢が社会党の浅沼委員長を暗殺した事件で大江健三郎は『セブンティーン』と『政治少年死す』を書くことになるのだが今も『政治少年死す』は絶版のだが、もちろん谷沢永一だって事件は知っていただろう。

 谷沢永一も大江健三郎と同時代の人間だろうがどうも社会党の浅沼委員長暗殺事件を知っていても語らないで書籍が売れればそれでいいで国賊ではちょっと良くなかったのではないか?

 最近のネトウヨは大江健三郎は国賊である!と糾弾すれば自分は愛国者だ、と思い込む人が多いらしいが、谷沢永一ももう少し国賊と左翼陣営を書籍で批判するにしても理性的に自分の持論をいうべきではなかったか?

 もちろん『人間通』などは割合、いい保守を考える書籍というべきなのだろうが。

 私には谷沢永一と赤尾敏の毒舌が重なってみえるのだが。

 谷沢永一の影響で大江健三郎は反日作家でオウム真理教の麻原彰晃と同じような人間であるという低俗な論議が増えていくとなればやはり情けない発言と酷評するしかない。