このブログは自分なりに大江健三郎を考える研究ノートで少しずつ書き足しているのだが、最近、三島由紀夫が実は大江健三郎をそこそこ尊敬していてどうも自決の原因の一つに作品で大江健三郎に敗北したことを本人が感じていたのではないか?と思うようにもなった。

 山崎行太郎も大江と三島の自決の周辺を書いていて読んでみると考えさせられるものがある。

 三島由紀夫は、生前、年齢的にも文壇生活においても後輩に当たるにもかかわらず、大江健三郎という文学者才能を評価し、畏怖し、そしてその存在に異常な関心を寄せていた。

 大江健三郎が、山口二矢モデルにして描いたテロリスト小説『セヴンティーン』に対しては、熱烈な賞賛の手紙大江健三郎に送っている。

 また、
川端康成の後にノーベル賞を受賞するのは、三島自身でも他の誰かでもなく、たぶん大江健三郎だろう、と予言していたという話もある。

 
ノーベル賞候補としては、その後、遠藤周作安部公房井上靖西脇順三郎・・・などの名前が取りざたされたこともあったが、結果は、ご承知の通り、三島由紀夫予言どおりになったのである。

 天才は天才を知るのである。

 ■[曽野綾子誤字誤読事件]大江健三郎を擁護する。女々しい日本帝国軍人の「名誉回復裁判」で…。

 大江健三郎も『さようなら、私の本よ!』でも大江健三郎と三島由紀夫の手紙のやり取りを触れてるが、三島由紀夫にとって大江健三郎は思想の違いで嫌悪感もあったが、必ずしも憎いという相手ではなくて作家としての有能さや才能を認めていたのだろう。

 三島由紀夫も『セブンティーン』も『万延元年のフットボール』を傑作と評価していたという。

 もちろん三島由紀夫も大江健三郎の反日的な政治的発言は嫌悪もあったのだろうが、作品は作品で自分を越える作品を大江健三郎が『セブンティーン』や『万延元年のフットボール』で認めていたのではあるまいか?

 『万年元年のフットボール』でも三島由紀夫は大江健三郎の才能の深さに実は敗北を意識していて『豊饒の海』を書いていても『万延元年のフットボール』を越えることができないことを三島は感じていたのか?

 『セブンティーン』で三島は大江健三郎で先を越され『万延元年のフットボール』でより優れた作家の大江健三郎を知るようになって自分の敗北や限界も大江健三郎の前で見えていたのだろうか?

 『セブンティーン』で三島は大江に才能で敗北したとなると大江健三郎より右の立場で自分を表現したくもなって市ヶ谷駐屯地で最後は楯の会でクーデターを起こして自決して大江健三郎を乗り越えて自分を表現したくなるような感覚にも取り付かれたのかもしれない。

 もちろん三島由紀夫の右翼的思想を激しく否定する大江健三郎は三島由紀夫の自決を激しく狂気と断定して自決以後は激しく三島の全作品を批判して酷評するようになる。

 もちろん大江健三郎も始めは三島由紀夫をそこそこ評価はしていたが、戦後民主主義の破壊者と化した大江健三郎の憲法改正クーデター以後は明確な敵として三島を徹底して批判しないと気がすまなくなったのだろう。

 三島由紀夫の憲法改正を叫んでクーデターを市ヶ谷駐屯地で決起したなれの果ての自決。

 実は三島由紀夫の自決は大江健三郎に対する敗北のようなシークレットメッセージだったようにも思えてくる。

 三島由紀夫も作家の内面で大江健三郎の才能というか自分が書きたいテーマと書けないテーマへの敗北感を絶えず意識していたのではあるまいか?