保守右翼雑誌の『月刊日本』で大江健三郎を擁護している山崎行太郎に関して2chで面白いスレッドがあったので今回、自分も彼の立場が分かると思った。
 
 山崎行太郎はネトウヨや保守派から批判が強いが、どちらかというと佐藤優や佐高信が評価していて共鳴もしているように思う。

 私も大江健三郎の作品を丹念に読み込んで『沖縄ノート』裁判の迷妄を斬る!という山崎行太郎の立場は文芸評論家として優れているといわざろうえない。

 もちろん最近の大江健三郎の軽薄な叩けばいい、という批判が間違っているという山崎行太郎は保守派でも一枚、上手だと評価を下すべきだろう。

 もちろんアンチで山崎行太郎は左翼とかエセ愛国者とかエセ保守という批判もあるが、大江健三郎の政治的発言は私はよく思わないが、大江健三郎の小説は優れていて、大江健三郎と三島由紀夫の接点で綿密な評論を書いている山崎行太郎はたいしたものではないか?ともふと思う。

2 : 吾輩は名無しである [sage] 2008/07/18(金) 14:42:18

山崎行太郎を迂闊に馬鹿にすると痛い目に遭うよ
崎ヶ浜に住んでる彼の弟子筋に聞いたんだけども
行く先々で著名な人間に認められているらしいよ 

太っ腹でよく奢ってくれると言うもっぱらの論壇の噂もあるし
郎々とした声はまさに論壇の綿織健だし 

はっきり言ってここのネットイナゴ達の百倍の魅力と知性があるね
自分で自分を決して褒めないし、謙遜して腰も低いし
 
演劇にも関心を持ってた三島や福田恒存をよく理解していてびっくりするし
王様の耳はロバの耳は現代の小泉劇場そのものだと言う解釈こそ彼の本懐を示しているよね
3 : 吾輩は名無しである [sage] 2008/07/18(金) 15:11:54

しかし、かなり早くから思想表現としての言論活動の軸を、自覚的にネットに移動している山崎行太郎にその批判は無力、且つ無効だろ。 

今や、論壇なんて形骸化して、実はネットやブログの後を追いかける時代になりつつあると言っていいだろ。 

だから、論壇の有名人たちが、ことごとく山崎行太郎に攻撃され、論破されると、ひとたまりもないわけだよ。 

山崎行太郎との論争から「逃げた」小林よしのりも曽野綾子も、そして沈黙するしかない秦郁彦や渡部昇一も、 おそらく論壇でも、「ネットやブログの時代」が到来しつつあることを知らないんじゃないか。 

確かに活字メディアは残るだろうが、その影響力はすでに半減しているはずだよ。
山崎行太郎がネットで論陣を張った『沖縄集団自決裁判』騒動が、その分岐点になったと、俺は思うよ。

 
 個人的に山崎行太郎のことで思うのは保守派の西尾幹二のようにブログとインターネットとITを重要視した文芸の評論活動を重視しているのが興味深いし、時代にあわせたうまい方法でもあると思ってしまう。

 これからの保守評論となればインターネットでITでしっかり文章をかいて暴論を排す、というか大江健三郎批判にしても作品の原点に立ち返って真摯なものでないと単に大江健三郎攻撃のアクセス稼ぎでしかない低劣なブログ:になってしまうだろうが、逆に大江健三郎を批判するにしても一定数、山崎行太郎のようなものでないと駄目らしい。

 山崎行太郎は西尾幹二をどのように思っているのか?は分からないが、ITとブログを駆使して保守言論活動というのであれば時代にマッチした流れもしっかり見ているのではないか?とも思う。

 どうも今後の言論活動や文芸批評も紙の雑誌や書籍も重要だがITスキルやブログ論壇の重要性もまた大切な視点というのは一理あるのでないか?

 エドワード・W・サイードではないがアマチュア論壇で大江健三郎を考えるブログも個人や素人でもそこそこ長い年月をかけて書けば比較的、プロの評論家が読んでもそこそこ評価されるようなオピニオンも誕生するかもしれない。