大江健三郎の初期作品に『性的人間』というショッキングな作品がある。

 主人公が痴漢というアダルト小説のようなエロ小説のようなショッキングな小説なのだが、なぜ、現代人は痴漢のような反社会的な行為に意味を見出すのか?という哲学的な作品でもある。

 冒頭は通俗小説というか大藪晴彦のようにスポーツカーのジャガーが登場して、主人公のJがカメラの一眼レフのアリフレクスでこれからさて・・・でちょっと自動車が好きな人はふと引き込まれそうな雰囲気でもあるのだが。

暗闇のなかを象牙色の大きなジャガーが岬の稜の突端まで疾走してくる。

ジャガーは夜の 海にむかって右に、滝のように不意に急勾配の降り坂となった枝道へはいりこみ、岬の南側 に脇の下のようにかくれている耳梨湾にむかった。ジャガーはアリフレクス16ミリを積んで いる。車も、撮影機も、みんなからJ(ジェイ)と呼ばれてい29歳の青年のものだ。



 大江健三郎は現代を「性的人間」と「性的人間」で分類できると考えているらしい。

 「性的人間」と「政治的人間」。政治的に牝になった国の青年は、性的な人間として滑稽に、悲劇的に生きるしかない。政治的人間は他者と対立し、抗争し続けるだけだ」(大江健三郎『大江健三郎 作家自身を語る』

性的なもの、政治的なもの(上) ――大江健三郎『性的人間』論――

大江健三郎『性的人間』

大江健三郎『性的人間』 感想 PDF

 作曲家の武満徹が大江健三郎の『性的人間』を絶賛していたのだけど、最後は今の社会で政治的にも救いがないような閉塞状況になって主人公Jのような痴漢を繰り返すことすら虚しい響きというか、性欲でエロチックな刺激を求める行為ですらもはや空虚な言葉でしかない・・ということを大江は『性的人間』でいいたかったらしい。

 人間が実際、どうして痴漢のような反社会的な行動に喜びを見出すのか?を大江健三郎が『性的人間』で小説に書きたかったというか結構、社会派な骨太なテーマでもあるので決して『性的人間』はポルノ小説ではない。

 評論家の宮台真司が『制服少女たちの選択』で女子高生のブルセラショップとか援助交際の少女売春のような状況が出てきてメディアが煽りまくっていたときの状況を大江健三郎は『性的人間』で1960年代にもう書いていたのはすごいといえばすごい。

 昔、ブルセラとか援助交際というか評論家の宮台真司が社会学に選んだテーマでメディアがバカ騒ぎをしていたときに大江健三郎を読んでいた人は『性的人間』の主人公Jのようなことをしていてああ・・呆れるよ・・・で割合、冷静に社会を小説から分析していたように思う。

 宮台真司も『性的人間』を実際、同時代で読んでいて評論活動の参考にもしていたのではあるまいか?

 大江健三郎の初期作品は『性的人間』で1960年代に政治と性を考える社会派というか現代社会の絶望的な孤独と閉塞状況を社会派的に考える小説を書いていた。

 しかし、人間は年を取れば性的なものというかセックスの減退はしょうがない天命のようなもので、最近の大江健三郎は老骨に鞭を打つように政治的人間だけになっているようでもある。

 私は『性的人間』もショッキングな小説でもあるが、同じような性と政治のテーマで少年が右翼思想に溺れる『セブンティーン』の方が今のネトウヨの気持ちを代弁していてはるかにショッキングで異常な世界を表現していて大江健三郎は鬼気ぜまる作家と思ってしまうのだが。

 新潮文庫で『性的人間』と『セブンティーン』が読める・・・というのはちょっとお得な編集方針なのか?と思ってしまう人も多いのではないだろうか?