大江健三郎の小説に『同時代ゲーム』という恐ろしく意味不明で難解な小説がある。

 人によってはトラウマのような感じで今も嫌いな小説で大江健三郎の悪文を象徴する駄作と称していい感情をもたない読者も多い。

 『死者の奢り』や『飼育』や『個人的な体験』の大江健三郎作品は好きだが、きっぱり、大江健三郎の作品で『同時代ゲーム』だけは嫌い!と批判的な駄作と考える大江健三郎の愛読者もいるようでもある。

 冒頭は大江健三郎からの手紙のように妹よ・・・で始まるが恐ろしく難解な文章で大江健三郎の世界の成り立ちとか、神話が語られていくのだが、読んでいて投げ出したくなる。  

 第一の手紙 メキシコから、時のはじまりにむかって  妹よ、僕がものごころついてから、自分の生涯のうちいつかはそれを書きはじめるのだと、 つねに考えてきた仕事。いったん書きはじめれば、ついに見出したその書き方により、迷わず書きつづけるにちがいないと信じながら、しかしこれまで書きはじめるのをためらってき た仕事。それを僕はいま、きみあての手紙として書こうとする。
  
 実際、大江健三郎の『同時代ゲーム』を読んだ感想・・・となれば、読みにくいことこの上ない、という。

しかし実に読みにくい。最近の若い作家のような難しい言い回しや読めない漢字が突然出てくるわけではなくて、単語自身はごく普通のものが使われているが、 まるで英語を翻訳したような調子の文章で書かれている。もともとこの作家の文章は読みづらいがこの作品では特にそうである。

しかし実に読みにくい。最近の若い作家のような難しい言い回しや読めない漢字が突然出てくるわけではなくて、単語自身はごく普通のものが使われているが、 まるで英語を翻訳したような調子の文章で書かれている。もともとこの作家の文章は読みづらいがこの作品では特にそうである。

「同時代ゲーム」再読了 [読書]

 一種の大江健三郎の『聖書』の創世記のような話を大江健三郎は目指していたというが、文化人類学とか神話学や宗教学的なインスピレーションを得て大江は自らの四国の村の日本神話とか世界の成り立ちを書きたかったらしい。

 例えば初めて『聖書』を読んで『創世記』で何が書いてあるか分からないので投げ出した・・・が、後になってみるとイスラエル民族の歴史や興亡を『創世記』でいっているのが理解できて『聖書』を読んで面白かった、みたいな感覚にとらわれることがあるか?とは思うが、大江健三郎の『同時代ゲーム』も同じようなものだろう。

 大江健三郎も日本神話に対して四国の村の自分の神話学を突如、思いつき『同時代ゲーム』という自分の考えた大江健三郎版の日本の建国神話で天皇制に対抗して、最後は抑圧される話を『同時代ゲーム』で表現したかったらしい。

 『同時代ゲーム』で大江健三郎が四国で生まれた日本神話が最後、大日本帝国と武勲赫々たる戦争を起して敗北していく姿は同時代の井上ひさしの『吉里吉里人』と比較されたりもしたが、『吉里吉里人』は最後まで読めた作品だが『同時代ゲーム』は読んでいて投げ出した体験の人が多かったのではないか?

 しかし、当時、『同時代ゲーム』をまともに評価したのは筒井康隆ぐらいであって、小林秀雄は2ページを読んでやめた!と酷評して、丸谷才一も多くの人には駄作だが、一部の人は大江健三郎の『同時代ゲーム』が好きという、極端に評価が分かれるような作品になったと思う。


15年ぶりの再読。最高。ガルシア=マルケスの『百年の孤独』に戦いを挑み、互角以上に渡り合っていると思う。ひとつの世界(宇宙)としての伝承が、語ら れ、書かれ、送られ、送り手に差し戻され…という、小説論的に超優秀な神展開をも備えつつ、内容がとびきり面白い!共同体の歴史も、書き手の身の回りの出 来事も、たいへん読み応えがある。例によって冒頭だけ読みにくいが、後はずっと面白い。「生命」と「伝承」の主題が「宇宙」の中で融合する、とんでもない 小説である。

再読。二度と読むまいと思っていた禁断の書を解禁。出だしからの悪文に次ぐ悪文に早くも投げ出したくなる。一文を何度も繰り返し読んでは喰らいつき噛み砕 く、この行程なしに読み進めることは不可能。これは作者の確信犯的な戦略。タイトルを上っ面で解釈するのは可能だがそんなことしたくない。死と再生なんて 言葉を借りて容易く繰り言したくもない。ただこの小説を足掻き貪り読んだ時間こそが掛け替えのない稀有な体験だ。作者と魂を共有できたというとんでもない 満足感。生きてるうちにもう一度読み返してやる。これを読まずに死ねるかの大傑作。

筒井康隆が「この小説を2頁で読むのを止めた」小林秀雄を読解力の不足と批判するほどの本。 大江作品はほとんど読んだが、おそらく大江作品で一番難解な作品。村=国家=小宇宙、壊す人、谷間の在、メイスケさん、森のフシギは大江作品の中でも重要 なキーワードの一つ。(他の作品にも登場)デビュー作から水死まで、他の作品が密接に関係があるので、大江作品に触れてない人は難しいかも。〔読んでいて も難しいです〕「最後まで読んだ人はほとんどいないと思います」と著者は言っている。文章の表現力が異常なまでにすさまじい。傑作です。

 同時代ゲーム (新潮文庫)


 意外に大江健三郎の最高傑作は『万延元年のフットボール』ではなくて『同時代ゲーム』だ、という人もいて驚きの大江健三郎作品というファンもいるらしのだが、大江健三郎の『同時代ゲーム』に関しては夢野久作の『ドグラ・マグラ』のような奇書の世界でマニアックな愛読者もいるらしい。

 大江健三郎の小説で最も難解なのが『同時代ゲーム』だという。一種のピカソやサルバトール・ダリの抽象画のような世界を大江健三郎は小説で表現したかったのもあるのだろう。

 それゆえに大江健三郎の『同時代ゲーム』は理解するまで時間がかかる最大の難問のような作品でもある。

 人によっては司修のブックデザインの奇怪な目が気持ち悪いのでトラウマになった小説は『同時代ゲーム』ともいっていて大江健三郎の悪文が一極集中したような見本ということで酷評の話題になる小説でもあるのだが、一部の大江ファンは一番の傑作だと抽象画に理解を示すように高く評価しているというのが実情でもあるようだが。

 大江健三郎の『同時代ゲーム』の面白さが自分で理解できた時にあなたは神話時代の英雄のように大江健三郎の難解な小説の世界をRPGゲームの謎解きのようにクリアして、おめでとう!といえるのではないか?