大江健三郎の三島由紀夫嫌いは衰えそうにない。

 レイトワークな大江健三郎も三島由紀夫の憲法改正の市ヶ谷駐屯地のクーデターは激しく、機会があるごとに批判してばかりいる。

 昔は大江健三郎も三島由紀夫が右傾化する前にはそれなりに東大作家の仲間ということで評価もしていたのだろうが、大江健三郎が左傾化すると、もはや三島由紀夫は激しい嫌悪の対象でしかなく、絶えず三島は右翼でり、戦後民主主義を破壊するファシストとしか思っていない辛らつな批判を加える。

 では、大江健三郎にとってなぜ三島由紀夫は嫌悪の対象なのか?

 その辺を考えてみると右翼的な自決の方法が大江健三郎にとっては激しく、天皇制とか『沖縄ノート』の集団自決のような狂気というか、許せない行為なのだろう。

 日本の軍人とか右翼でも自決ということで最後に華やかな自殺で自分を美化するような風潮を大江健三郎は激しく嫌悪する作家だと私は思うことがある。
 大江健三郎の小説の『セブンティーン』のモデルになった山口二矢も最後に拘置所で自殺を計っていたし、大東塾という右翼団体の代表の影山正治も元号法制化をめぐって皇居の前で三島由紀夫のように自決してもいる。

 『週刊朝日』の『虱の会事件』で朝日新聞社で拳銃自殺をした野村秋介も右翼であったが、やはり死に際には自決で決着をつけるということで自らの美学を示してもいたのは記憶に新しい。

 古くは皇室とのつながりがあった日露戦争で武勲をあげて学習院大学の総長になった乃木正典も最後には自決していて、右翼といえば自決とか白虎隊の末裔のように悲劇的な死が美しい、のような考えが強烈にあるといえばある。

 自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧

 国を憂いて自決するというのは何も天皇制以前に徳川幕府時代より前の武士が日本を支配した社会からあったので一概に天皇制の影響とか右翼的な死の美学と決め付けてはいけない、とは思う。

 しかし、大江健三郎のような戦後民主主義者にいわせれば自決というか右翼が憂国で切腹という考えは到底、受け入れることができない考えであって激しく大江健三郎は拒否したい心情もあったのではないだろうか?

 最も今の日本の右翼が自殺や自決を強制したりしているわけでもなくて、自決は最後の手段で自己決定権のように思っているふしもあるので右翼作家は三島由紀夫のように自決ばかりしているわけではない。


「そんなもの問題にならんよ! 何もないじゃねえか。右翼という看板だけで。君たちは何も知らないんだよ、中身は何もありゃせんよ。三島由紀夫君が腹を 切って死んだろ? あんなことが一番偉いと思ってんだ。何も偉くないっ! 腹切って死んで国が救えるか。そうでしょう。俺が腹切って死んだら、共産党が喜ぶだけだよ。生きて戦わなきゃいかんじゃないか。レーニンが腹切ったら、ロシアの革命は成功してないわ。あいつらはどんな苦労をしてでも、戦って、敵をつ ぶして、政権をとったんだ。その信念と執念がなくちゃ、成功しないよ。三島なんかバカだよ!」

救国のキリストか銀座のドンキホーテか


 大日本愛国党の赤尾敏も三島由紀夫の自決に関しても切腹して国を救えるか!とばかげたことだ、と痛切に批判しているので右翼は自決で決着をつけて国益とか憂国とは必ずしもいえないのだが。

 大江健三郎にとって自決という自殺の方法は天皇制とか226事件の将校の愚考とかナショナリズムで国のための死を強制する象徴のようなものなので受け入れることができない狂気の沙汰ということで激しく拒絶しているのではないか?


―憲法の原点の問題、暴力についての考え方についても書いていらっしゃいますね。

 大江 暴力の根本にあるのは、人間の体に対するものです。ダンテは『神曲』で、自殺者は自分の体に暴力をふるった人だという。

 他人の体に暴力をふるうことと、それはつながっている。事実、中国への侵略という暴力は、同時に、日本人自らへの暴力でもあった。そ の、自他への責任を取れと言いたい。

 光のひと言が私の母に力与えた
 
 大江健三郎はダンテの『神曲』で自殺は暴力で自分を自害するようなものである、と激しく拒否感情を持っていることをいっている、となれば右翼的な自決となれば絶対に自分のポリシーで痛烈に批判しないといけない、と思っているのは確かなのだろう。