戦前に山本宣治という左翼の代議士が京都で右翼テロの暗殺で凶弾に倒れた、という。

 山宣の愛称で親しまれた山本宣治なのだが、戦後の社会党代議士の浅沼暗殺事件のように右翼テロで不運の死と遂げたという。

 山本宣治も性教育に熱心で大江健三郎の『セブンティーン』でキンゼイ報告とかの話が出てくるが、大江健三郎ももちろん山本宣治のことを熟知していて『セブンティーン』を小説に激しい危機意識を持って書いたのか?とも思えてくる。

 山本宣治も死後、日本共産党の党員として小林多喜二のように共産党内部では英雄になっているが、実は大江健三郎の小説の『セブンティーン』には山本宣治の暗殺や性教育のあり方もあるのではないか?

 一般的に日本共産党や日教組が性教育と人権に熱心なのはどうも山本宣治の影響と大江健三郎の『性的人間』の影響や性の解放理論もあるのだろう。

 山本宣治とは?
 大江健三郎の『セブンティーン』のモデルはフランス文学のサルトルの小説というのもあるが、戦前の山本宣治が右翼テロで暗殺された痛恨の事件もまた、モデルになってもいるようでもある。

 社会党の浅沼委員長を暗殺して国賊に天誅を!と右翼テロの凶行に及んだ山口二矢ももしかしたら17歳の凶行の原点で戦前の性教育に熱心だった山本宣治の暗殺もあったのか?

 大江健三郎の『セブンティーン』の原点に山本宣治の戦前の暗殺も影を投影しているのか?と思うこともある。

 もちろん大江健三郎は山本宣治の性教育だけに留まらないでそこから一歩、前衛的に性の問題を表現する作家でもあって性的少数者とか同姓愛の問題や排除されかねない両性具有のセクシャルマイノリティの人権問題にも敏感で自分の小説に書いているのだからポスト山本宣治な人でもあるのだろう。

 大江健三郎も夫婦別姓は個人の意思や自由を重んじるリベラルの立場から賛成していて、反ナショナリズムで家庭で男女は職業や性差のジェンダーで分けるのは反対している立場ではある。

 大江健三郎は最近も『水死』でウナイコというLGBTというか両性具有のセクシャルマイノリティの登場人物の話なども書いていて人間の性とかタブーとかの表現をどう進めるか?というか、性的少数者の異物を違和感なく小説で表現することは作家で大切なことだ、とは思っているらしい。

 もちろん大江健三郎のポスト山本宣治のような性教育擁護というかジェンダー・フリーな立場は右翼や保守派やネトウヨからは日本の家族や国家を破壊する過激性教育の頭目のようなものであって売国奴の面目で恥さらしなエロ作家とかアダルト小説作家のような低俗なものでくだらない、という批判が強烈にある。

 大江健三郎が表現する性の問題はエロ小説とかポルノグラフィ小説とは違う話であって神話学とか文化人類学とか人間の社会と性の歴史であったり、女性と男性は平等でシェンダーの問題だったりもするのだが。

 日本共産党とか日教組が大江健三郎の小説を高く評価するのも排除されている性的少数者の人権というか活躍の場を大江健三郎が小説で与えているからだ、ともいえる。

 大江健三郎がノーべル賞を『万延元年のフットボール』で得ることができたのも小説内部で緻密なまでに性的少数者に表現の場を与えて想像力を高めた現代文学のパイオニアでもあった態度もあったのは事実だ。

 山本宣治の右翼テロの不幸なる死を乗り越えるように大江健三郎はLGBTなどのセクシャルマイノリティや性の問題の表現を現代文学で果敢なまでに挑んだ作家であって前衛的な先駆者であると思えてもくる。