日本の作家は自殺や自決が多い。

 作家といえば芥川龍之介の自殺、太宰治の入水自殺、三島由紀夫の憂国のクーデターの果ての自決。

 川端康成の自殺もガスストーブの事故死説もあるが、どうも日本人は作家の自殺や自決を美化するような悪い体質があると海外では低評価というか批判的な意見も多い。


 『Saving 10,000』が今も注目される理由には、日本人が見過ごしがちな興味深い視点を提供しているからだ。例えば「日本人は自殺を美しいものなのではないかと 考えている」という見方だ。

 三島由紀夫と親しい友人だったことで知られ、三島作品の英訳書も出版している元ニューヨークタイムズの東京支局長ヘンリー・ス コット・ストークスは、日本では作家が自殺する傾向が非常に高いと指摘している。そんな国は、世界を見渡しても他にないと言う。

 さらにドキュメンタリーに登場する関係者も、自殺が多い背景に文化的な要素を挙げる。


 自殺の名所として知られる福井県の「東尋坊」は、作家の高見 順が描いた小説『死の淵』によって、また高知県の足摺岬は作家の田宮虎彦による『足摺岬』によって紹介されたことが、自殺の名所になったゆえんだと指摘す る。


自殺ドキュメンタリーを作った外国人が「すぐに死にたがる日本人」を語る (1/2)

 どうも日本では作家が自殺や自決をすると愚かなことではなくて、むしろ、軍国美談とか江戸時代の心中物のように崇拝する感情も強いらしい。

 古くは白虎隊の自決とか学習院大学の乃木将軍の自決とか、そのような武士道の延長のような悲劇の英雄のような感情を日本人が根にもってはいるらしいが、海外ではこのような作家の自殺に関しては決していいイメージをいだいてはいない。

 大江健三郎も若いときには自殺願望もあったし、息子の大江光の苦しみで精神的に何度も自殺の危機に直面したが、作家は安易に自殺で人生の決着をつけるべきではない、とは思ってもいるだろう。

 大江健三郎の場合、作家の自殺や自決にお国のために死ぬことを強制する日本のナショナリズムが悪い、という批判をいつも繰り返すのだろうが、確かに日本の作家の自殺や自決を安易に持ち上げたり、美しい死とか憂国のための自決というか日本人の美学ではちょっといただけない、といえばいただけない。

 ニューヨーク・タイムズの元新聞記者も指摘するように作家の自殺を安易に美化する日本の文学者の態度は国際的にもおかしいのではないか?という批判は知っていてもいい。

 大江健三郎もノーベル文学賞という名誉を手にするとどうも自殺だけはするまい、とますます思うようになっているとは思えてもくるし、批判があっても社会的発言を続ける、という意思も強くなっているとしか思えない。

 日本では作家の自殺や自決を文学や国のための名誉とありがたがる傾向があるが、海外では逆に作家の自殺こそよくないことであり、作家の小説の価値を貶めるような行為であると考えていると理解した方がいい。

 太宰治や三島由紀夫の小説が好きならば問題はないが、安易に自殺を選んでしまうのであれば人間的には失格ではないか?という意見は正しい、と私は思うのだが。

 太宰治や三島由紀夫が嫌いな作家だと批判する人のいい分に安易に人生の結論を自殺という結果に持ち込んでいるのがいただけない、という指摘は間違っているとは私は思えない。