大江健三郎研究ノート

ノーベル賞作家の大江健三郎を考えるブログ。自分なりに作家・大江健三郎を考えたことの考察というか研究ノート。

夏目漱石

大江健三郎と自衛隊と311の東北大震災

 
 大江健三郎は自衛隊批判を繰り返している。

 1958年6月25日の毎日新聞夕刊コラムで大江健三郎は反日発言で自衛隊の国防を貶める発言をしたという。

 防衛大学校の志願者をすっかりなくすように私はいいたい、と大江健三郎は左翼的な発言をして売国発言をしていて国賊の正体見たり!でネットでネトウヨや保守派や右翼は早速、大江健三郎批判を繰り返している。

 一体、どこまで日本を貶める発言を繰り返す大江健三郎なのだ、でノーベル文学賞はきっちり返上するのが大江が日本のために必要なのではないか?とまでいいきっている人もまた多い。

「ここで十分に政治的な立場を意識してこれをいうのだが、ぼくは、防衛大学生をぼくらの世代の若い日本人の弱み、一つの恥辱だと思っている。そして、ぼくは、防衛大学の志願者がすっかりなくなる方向へ働きかけたいと考えている」

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保田與重郎の『コギト』と長江古義人の違い。


 大江健三郎のレイトワークで自分をモデルにした長江古義人というモデルが登場する。

 古義人というのはラテン語のコギト・エルゴズムというデカルトの『我思うゆえに我あり』からヒントも得ているのだろうが、もちろんどうもそれだけではないらしい。

 実際、長江古義人という小説の登場人物も夏目漱石の影響があることを大江自身が語っているのは興味深い。

大江氏は「実際の出来事をいくら書いても、もはや本当の僕の歴史ではありません。私はこんなふうに生きてきました──そう幾度も語り変え続けた自伝が、本当の自伝であるはずはない」。同時にこうも語る。

 「そうやって、自分の作品全体で再構成するように生き方を作り、偽りの自伝を生きるのが小説家の運命。最初に書いた小説から、一貫した脈絡は現在まで続く。それが僕の人生でした」
 
 ならば、大江健三郎は、すでに長江古義人なのか。

 「そうです。小説家として生きることは、その時代がその人間に集結すること。『こころ』の先生が明らかに漱石であるように、やはりこの時代の精神が、一人の小説家・長江古義人を走り回らせているんです」》

 大江健三郎のインタビュー記事
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大江健三郎が語る夏目漱石


 大江健三郎が語る夏目漱石の『こころ』なのだが大江健三郎にいわせれば小説は知識人が読むものという認識があって純文学=小説という考えはぶれそうにない。

 大江健三郎といえばよしもとばななや村上春樹のような作家はサブカルチャーの作品であって文学ではないという。

 最も大江健三郎も吉本ばななや村上春樹の作品を否定するわけでもないのだが、やはり本流は純文学なのだろう。
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