大江健三郎研究ノート

ノーベル賞作家の大江健三郎を考えるブログ。自分なりに作家・大江健三郎を考えたことの考察というか研究ノート。

大江健三郎の魅力

同性愛の人権に対して理解が鋭い大江健三郎


 大江健三郎は同性愛の問題を積極的に書く作家である。

 最近のレイト・ワークの『水死』でもウナイコという女性の同性愛者が登場するが、大江健三郎は同性愛者ではない。

 結婚した相手は大江ゆかりという女性であって映画監督の伊丹十三とは義兄弟の関係になったわけだけれども、大江健三郎は同姓愛者の人権やジェンダーの問題には積極的な作風の作家だったりする。

 大江健三郎にいわせると同姓愛者の差別事件は部落差別や在日韓国・朝鮮人の民族差別のようなものであって、同姓愛差別にも敏感な作家でもあって、出口がない同性愛者の人の救済のような話を小説でロール・モデルのように提示しているといえばいえる。

 大江健三郎が『性的人間』や『万延元年のフットボール』などでエロチックな性と同姓愛の問題を積極的にテーマにしたのはどうも大江健三郎が性的少数者の人権に敏感で部落差別や民族差別のように性的少数者を排除するのは間違っているし、文学や小説で自分が復権させるのが大切なことだという考えが強いからではないか?

 日本の作家でも谷崎潤一郎や三島由紀夫は同姓愛的なテーマで小説を書いてもいたが、大江健三郎の場合、しこから一歩、踏み出して同性愛者の人権というか左翼進歩派のような筆致で小説を書いてきた作家でもあるのだろう。

 大江健三郎はLGBTのような性的少数者ではない、のだが、LGBTのジェンダー問題には理解を示す優れた作家だと私には思えてもくる。
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大江健三郎の小説の魅力は詩の引用の想像力か?


 大江健三郎といえば詩の引用から作品の構想を膨らませる作家でもある。

 特に詩の引用が多くなるのは『万延元年のフットボール』を書き終えた後の作品では特にその傾向が強い。

 『新しい人よめざめよ』あたりになると詩人のウィリアム・ブレイクの詩から自分と障がい者の息子の大江光の話を機軸にして小説が続くようになって詩の引用から作品を書く小説家というモティーフが一気に固まった感じでもある。


また、特徴的なことであるが、実は、大江氏は極めて「詩人的」な作家でもある。

実際、大江氏の作品の表題の大半は、T・S・エリオットとか、オーデンとか、ブレイクとか、ポーとか、イェイツなどの詩のタイトルからの引用なのである。

「引用」ということも、大江氏の作品では重大なテーマである。

大江氏は、引用される側のその書き手たちを、そのまま書き写すことで、いわば自分のエクリチュールの魂に、その書き手の魂を同化させようとするのだ。
彼がパロディをしない理由はまさにそこである。

彼は魂に、他者のテクストを刻み付けることで、それを自己消化→自己昇華するという作法を持っている。

したがって、彼が引用する詩人たち、或いは作家たちは、いわば彼と同じ魂の傷付き、負い目などを宿していることが多くなるのである。

「ひとつのかたまりをなすイメージを紙に書きつけ、いったん書きつけられたイメージを読みかえして、自由にそれをつくりかえて行く。」

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大江健三郎の悪文とグロテスク・リアリズムの魅力


 大江健三郎は悪文作家で難解な小説を書いてばかりで好き嫌いが激しい作家でもある。

 大江健三郎が政治的な発言をして悪文のイメージとより重なって大江健三郎こそ国賊であって売国奴の強烈な拒否感情も嫌いな人は強く持ってしまうのはもちろんある。

 とはいうものの反面、大江健三郎が逆に歪んだ人間性とか歪んだ日本を饒舌に語る、という捻じ曲がったような表現に魅力を感じる人も多く、作家というのは表現が難しい。

 大江健三郎といえばグロテスク・リアリズムの天才児であって分かる人には親近感がある作家というしかない。

 普通に生活するうえでエッセイというか整った文章を散文で書くのが名文の条件であるけれども、大江健三郎は日常を超えた何者かの世界を表現したいが故に悪文というかグロテスク・リアリズムを表現してきて世界の文学でノーベル賞を受賞もしたのだろう。
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とりあえず大江健三郎を読んでみたい人へのまとめ


 難しい大江健三郎作品であるが、人によっては初めから好きな作家になってしまったのが大江健三郎という意見もある。

 もちろん大江作品で高学歴で有名大学の文学部の人が理解しやすい、というのもあるが、もちろん偏差値の低いFランク大学で社会福祉などを学んでいて障害者福祉に興味がある、となれば『個人的な体験』を読み終えてドフトエフスキー的な感動、ということも味わった人もいる。

 一律に大江健三郎は高学歴で敷居の高いエリート向け作家、と決め付けるのも早急な話だろう。

 人にとっては難解小説の『同時代ゲーム』がベスト作品という評価もあるし、『同時代ゲーム』は嫌いだが、初期作品の森林冒険談は好きだった、という意見もある。
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大江健三郎を偏愛している愛読者の書斎


 大江健三郎といえば悪文で難しい文章が嫌い、という批判が強烈にある。

 もちろん政治的に大江健三郎は憎むべき反日作家であり、日本を貶めていることが嫌いな人は過激な大江健三郎批判を繰り返すのはしょうがない。

 もちろん大江健三郎のリベラルな左翼的発言が好きな人もいるが、どうも大江健三郎の小説は悪文というか難解で好きではないのはいただけない、という意見もある。

 とはいうもののコアで熱心な大江健三郎の小説の愛読者はいるようで『死者の奢り』や『飼育』や『万延元年のフットボール』だけは愛読書でノーベル賞を受賞したのも当然ではないか?という意見は理解できる。

 障がい者の息子の大江光の体験を書いた『個人的な体験』も良作で大江作品の魅力をじわじわ覚えた人は大江健三郎は魅力的な作家と評価して書斎も凝るらしい。
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