大江健三郎研究ノート

ノーベル賞作家の大江健三郎を考えるブログ。自分なりに作家・大江健三郎を考えたことの考察というか研究ノート。

大江健三郎は悪文作家か?

大江健三郎と太宰治が作家で好き嫌いが激しい理由


 大江健三郎が作家で政治的な発言の影響や悪文のせいで好き嫌いが激しい作家になっているのは自分も知っている。

 同じような作家といえばふと思いつくのが太宰治。

 何かちょっと状況が似ている・・・と思ったのだが、作家で好き嫌いが出るのはしかたがないのか?とも思う。

 三島由紀夫が太宰治に関して嫌いだ!と本人の前でいったという話は有名で川端康成も太宰治は嫌っていて芥川賞を落とされた腹いせに太宰治が短く『殺す』と表現したことは有名だったりする。

 太宰治も川端康成に芥川賞を落としたのが気に入らない!といって食ってかかる幼稚な性格だったので嫌いな人は太宰治は永遠の子どもな中二病作家ということで低評価なのだろう、とは思うのだが。

 大江健三郎も左翼な人なので太宰治が戦前、日本共産党の左翼運動に関与したことは知っているとは思うが、余り影響は受けたようには思えない。

 大江健三郎も太宰治に関しては嫌い?なのか・・・と思ってしまう。
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大江健三郎の悪文とグロテスク・リアリズムの魅力


 大江健三郎は悪文作家で難解な小説を書いてばかりで好き嫌いが激しい作家でもある。

 大江健三郎が政治的な発言をして悪文のイメージとより重なって大江健三郎こそ国賊であって売国奴の強烈な拒否感情も嫌いな人は強く持ってしまうのはもちろんある。

 とはいうものの反面、大江健三郎が逆に歪んだ人間性とか歪んだ日本を饒舌に語る、という捻じ曲がったような表現に魅力を感じる人も多く、作家というのは表現が難しい。

 大江健三郎といえばグロテスク・リアリズムの天才児であって分かる人には親近感がある作家というしかない。

 普通に生活するうえでエッセイというか整った文章を散文で書くのが名文の条件であるけれども、大江健三郎は日常を超えた何者かの世界を表現したいが故に悪文というかグロテスク・リアリズムを表現してきて世界の文学でノーベル賞を受賞もしたのだろう。
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大江健三郎の『沖縄ノート』は悪文なのか?


 大江健三郎の悪文の根拠になるのが難しい漢字の表現である。

 『沖縄ノート』でも悪文を書く大江健三郎の批判はもちろんある。

 秦郁彦が大江健三郎の『沖縄ノート』で「罪の巨塊」という表現が大江が勝手に自分で変な表現を考えて大衆を無視したぺダントリーというか衒学の難解な表現で上からの目線だという。


 佐藤


 私は文学的感性は乏しいのですが、大江さんが使った「巨塊」というのは、造語ではないですか?


 山崎

 そうですね、完全な造語ですね。パソコンで「きょかい」と入力しても普通は変換されません。

 こういう場面で、私は大江健三郎という一人の文学者に、右翼とか左翼という立場を超えて圧倒されるのです。日本語の表現の中には巨大な悪を示すのに、 「悪の権化」「鬼畜の所業」など、様々な語彙がありますが、そうした手垢のついた言葉では、沖縄で起こった事象を的確に表現できない、新しい事象を表すに は新しい言葉が必要だ、というわけで、大江氏は、「罪体」という推理小説の用語にヒントを得て「罪の巨塊」という言葉を作り出したようです。

 新しい言葉を 造語することによって、文芸批評の専門用語を使えば、一種の「異化作用」をもたらしているわけです。異化作用とは、ちょっと見慣れない言葉を使うことに よって、読者に立ち止まらせ、考え込ませる技法です。

 裁判を傍聴した秦郁彦などは、ノーベル賞作家だかなんだか知らないが、大江健三郎が「何かわのわから んこと」を言っていたと罵倒していましたが、秦郁彦等の言語感覚の劣化というか文学的感性の欠如というか、要するに保守思想の堕落を象徴する発言ですね。

 なぜ保守論壇は知的に劣化したのか

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大江健三郎は悪文作家と批判しながら同伴する愛読者


 大江健三郎は悪文作家の批判がついて回る。

 作家で大江健三郎は悪文家で、文言評論家で小林秀雄もまた悪文の名手で大江と小林が嫌い!と露骨に嫌悪感を示す人も多い。

 とはいうものの学生時代に大江健三郎の『死者の奢り』や『飼育』が好きで『個人的な体験』や『万延元年のフットボール』まではついていけたので好きだったという人は多い。

 初めから悪文を書く知識ひけらかしのぺダントリーな衒学趣味の難解な小説を書く大江健三郎ではなかったことも自分は知っている。
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