大江健三郎研究ノート

ノーベル賞作家の大江健三郎を考えるブログ。自分なりに作家・大江健三郎を考えたことの考察というか研究ノート。

谷沢永一

谷沢永一と赤尾敏という鬼子


 大江健三郎の急先鋒の谷沢永一といえば国賊とか悪魔の思想というか過激なタイトルで敵をみなした作家や文化人を日本刀で一刀両断するような過激な保守右翼というか極右的な文芸評論家だったと思う。

 
 『悪魔の思想―「進歩的文化人」という名の国賊12人』という本があるのだが大日本愛国党の赤尾敏の銀座・数寄屋橋の辻説法のように国賊は国賊ではないか?という過激な保守の理論武装という気持ちだったのだろうか?

 もちろん谷沢永一の大江健三郎は悪魔の思想家で反日作家で国賊と批判する書籍は単にネトウヨとか大江健三郎を糾弾する人間以外には見向きもしないだろうし、評論に値しないという酷評も当然だろう。

 俗にいう大江健三郎は売国奴!であり、ノーベル賞を返上して北朝鮮へ政治亡命でもすればいい、というネットや2chまとめの多くは谷沢永一の右翼本の焼き直しなのだろう。

 とはいうものの私は低劣な谷沢永一の本はお話にならない、とは思う評価なのだが、なぜ、谷沢永一が大江健三郎や朝日新聞な進歩派を国賊と糾弾していたのか?は気になる部分がある。続きを読む

大江健三郎と麻原彰晃と谷沢永一


 自称・保守右翼の谷沢永一が大江健三郎がノーベル賞を受賞した際に大江健三郎はオウム真理教の麻原彰晃と同じ国賊であり、大江健三郎をありがたがる人間はオウム真理教の信者と同じだ、と酷評もしていた。

 大江健三郎の国賊売国奴たるゆえんはここにあり!

 どうだ大江健三郎!文句あるか!と谷沢永一は鬼の首でも取ったかのような批判をしてみたつもりだったようだ。


 大江健三郎は、国内に向かっては右顧左眄して、おちょぼ口で、口ごもって、どうにでも意味がとれる文学的修辞にかくれて、言ったような言わなかったような 曖昧な態度に終始した。そして外国人に対するときだけ、打ってかわって明白に日本歴史と日本国民を罵倒して弾劾した。この卑怯卑劣な使い分けには、(戦前の共産党員に見られる)、確信犯の美学がひとかけらも認められない。

☆松本智津夫・大江健三郎こそ、現代の反面教師☆

 麻原彰晃こと松本智津夫は卑怯であり卑劣である。大江健三郎も卑怯であり卑劣である。日本人がもって恥とすべき醜悪な根性の持ち主である。オオエ真理教の教祖は、麻原彰晃と同じ型の人間なのである。

 これらを、例外的な他人ごとと軽く見てはならぬであろう。昭和3年の日本共産党および関係者には、人間としての尊厳をなによりも重んじる昂然たる気概があった。

 明治、大正、昭和前期、近代80年の歴史をつうじて、日本人には日本国民としての強い気概があった。

 矢沢永一「(麻原と同様)大江健三郎も卑怯であり卑劣である。日本人がもって恥とすべき醜悪な根性の持ち主である」

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大江健三郎を国賊呼ばわりした谷沢永一の考察


 大江健三郎を国賊作家で反日活動に余念なしである!と激しく批判したのは評論家の谷沢永一である。

 保守派の大江健三郎批判で感情論であって大江健三郎が好きな人にいわせれば論議に値しない攻撃的なネトウヨのヘイトスピーチともいえるし、街宣右翼の国賊・大江健三郎に天誅を!とさほど変わらない暴言というか暴論として酷評もしてはいる。


 ところで最近谷沢永一氏の『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者 大江健三郎への告発状』(クレスト社)を読んだのだが、大江氏のエッセイや、 ノーベル文学賞受賞時の『あいまいな日本の私』などを引用しながら、大江氏の反日本的な考え方を徹底的に批判している。

 日本人が丸々1冊の本を個人の批判 のために書いたという例は他にもあるが、ノーベル賞受賞者をとことん批判したのは初めてではないか。

 大江健三郎は偉大な作家か

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