大江健三郎研究ノート

ノーベル賞作家の大江健三郎を考えるブログ。自分なりに作家・大江健三郎を考えたことの考察というか研究ノート。

大江健三郎と戦後民主主義

三島由紀夫の自決と大江健三郎の激しい拒絶


 大江健三郎の三島由紀夫嫌いは衰えそうにない。

 レイトワークな大江健三郎も三島由紀夫の憲法改正の市ヶ谷駐屯地のクーデターは激しく、機会があるごとに批判してばかりいる。

 昔は大江健三郎も三島由紀夫が右傾化する前にはそれなりに東大作家の仲間ということで評価もしていたのだろうが、大江健三郎が左傾化すると、もはや三島由紀夫は激しい嫌悪の対象でしかなく、絶えず三島は右翼でり、戦後民主主義を破壊するファシストとしか思っていない辛らつな批判を加える。

 では、大江健三郎にとってなぜ三島由紀夫は嫌悪の対象なのか?

 その辺を考えてみると右翼的な自決の方法が大江健三郎にとっては激しく、天皇制とか『沖縄ノート』の集団自決のような狂気というか、許せない行為なのだろう。

 日本の軍人とか右翼でも自決ということで最後に華やかな自殺で自分を美化するような風潮を大江健三郎は激しく嫌悪する作家だと私は思うことがある。
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福田恒存の大江健三郎批判から考える


 福田恒存といえば最近、保守右翼評論家で再評価もされてもいるようだ。

 旧かな使いで大江健三郎の矛盾を撃つ!ということで大江健三郎の憲法観は実は護憲ではなくて、改憲論者であることを見抜いていた。

 もちろん福田恒存がいう大江健三郎の改憲というのは憲法9条のことではなくて、天皇制のことである。

 大江健三郎は戦後民主主義を擁護して護憲のポーズをしているが、実は改憲論者であり、日本を貶める反日ぶりもあることを暴露・・・といいたいらしい。続きを読む

大江健三郎の戦後民主主義に対するトリックスター的態度


 大江健三郎はすべからく戦後民主主義にこだわる作家である。

 大江健三郎は天皇制こそが日本を劣化している元凶だと執拗に政治的発言を繰り返している。文化勲章を皇居でもらうのは潔しとせず、『セブンティーン』の第2部の『政治少年死す』は今も絶版。

 大江健三郎は日の丸・君が代・天皇制は日教組や日本共産党のように拒否したいのだろう。

 大江健三郎の反日的な態度は何かといえば国賊・大江健三郎!で批判が耐えないし、ブログでもノーベル文学賞を返上するのが筋である、という批判も多い。

 反面、大江健三郎は戦後民主主義に対する平和憲法9条に関しては日本人は擁護すべきだ、といい続けているのはどういうことなのか?

 一方では戦後民主主義の象徴天皇制は廃止しべきだ、いい、片一方では今の日本国憲法は改正すべきではないという。

 それこそ『あいまいな日本の私』な大江健三郎の憲法論なのだが矛盾もしていてこだわりが抜けきれない作家でもあるようだ。
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ヘイトスピーチと日の丸と大江健三郎


 大江健三郎の日の丸・君が代の否定は相当のものだと思う。

 皇室で文化勲章を受け取るという行為に私は戦後民主主義を守りたい!といって大江健三郎は辞退したが、大江の中に日の丸・君が代といえば強烈な拒絶心があるのではないか?

 それで自分なりに思い当たることで考えてみるとヘイトスピーチに反対する会で反原発の抗議集会で右翼の統一戦線義勇軍の針谷大輔代表が日の丸を掲げただけで右翼は許せない!となって発言をさせなかった後味の悪い事件を思い出した。

 ヘイトスピーチに反対する会の行動を支持しません

 “6.11新宿・原発やめろデモ”と“ヘイトスピーチに反対する会”の衝突

 日教組とか日本共産党といえば日の丸・君が代というだけで悪とか右翼は暴力団であってテロリストといわんばかりの態度で拒絶する人が多い。

 大江健三郎も考え方ではヘイトスピーチに反対する会が反原発の統一戦線義勇軍の針谷大輔を排除したように日の丸・君が代というだけで悪だ、というか排除したい気持ちの持ち主なのだろう。

 日本共産党とか日教組もナショナリズムを主張する人間に批判を加えるのは当然という考えの人が多いが、大江健三郎も意固地になって日の丸・君が代は悪だといわないと気がすまないらしい。
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大江健三郎と三条高校と戦後民主主義


 大江健三郎は自由に言論は話すべきだ、という考えが強いという。

 私は作家なので自由に話す権利があるが、政治的な話題はご遠慮して欲しいとなれば大江健三郎は公演をキャンセルしてしまい、三条高校の校長の方が民主主義のルールに反していると批判してしまう。


 新潟県立三条高校の創立100周年記念式典で講演を行うことになっていた大江健三郎が、校長から「政治的な話題については ご配慮の程を」と要請されたため、「自由な話ができない」として、いったん受諾した講演を断った。

 校長からは、式典で日の丸・君が代を用いることも同時に伝えられたという。

 この話を聞いて、大人げないと言ってはいけない。逆である。大江健三郎は自らの社会的役割を十分理解した上で、「大人」として責任ある態度を示したのだ。

 大江は毎日新聞に対するコメントでこう言っている。「いつも自由に話をしてきた者として、講演を断念したのです」。
 
 そうなのだ。大江健三郎という存在は、ノーベル賞作家なんかになるよりずっと前から、「自由」について徹底的に考えてきた大きな「知」であり、ノーベル賞作家になったからといって、決してみんなのおもちゃになるようなものではないのだ。

 その大江に対して「言論統制」を試みたのだから、この三条高校の校長も相当のものだ。


 やっぱり大江健三郎が好き。

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