大江健三郎研究ノート

ノーベル賞作家の大江健三郎を考えるブログ。自分なりに作家・大江健三郎を考えたことの考察というか研究ノート。

清水幾太郎

藤岡信勝と清水幾太郎の共通の根


 かつて左翼で日本共産党や新左翼を代表する進歩的文化人で清水幾太郎のことを自分は書いたのだが、同じような転向左翼で極右になったのが藤岡信勝だろう。

 かつて日本共産党でスターリストな藤岡信勝などといわれてもいたが、藤岡信勝の変説も清水幾太郎に似ているというか同じようなものではないだろうか?


 もうおわがりだろう。ようするに彼らは最初から「日本は悪くない」「大東亜戦争 はやむをえなかった」「従軍慰安婦など存在しない」といいたいだけなのである。

 そして、それを強弁するために事実を恣意的にツギハギし、問題をすり替え、デマを垂 れ流す--。いったい、このやり方のどこが「実証的」なのか。「イデオロギーと無 関係」どころか、悪質な政治宣伝そのものではないか。しかし、それも当然だ。そも そも教科書批判を一貫してリードしている藤岡信勝自身が、ゴリゴリの「イデオロギ ー」の持ち主なのである。

 論壇的にはまったく無名だったこの藤岡がはじめて注目を集めたのは95年のこと。 この年の7月、藤岡は「自由主義史観研究会」なる団体を旗揚げし、歴史教育の見直しを訴え始める。そして翌年1月から、産経新聞で「自由主義史観研究会」メンバー による連載「教科書が教えない歴史」が始まり、その単行本がベストセラーとなるのだ。

 藤岡は同研究会旗揚げの際、この「自由主義史観」について前述のごとく「あらゆ るイデオロギーから自由しなどと語っているが、そのスタンスは当時から、けっして そんな中立的なものではなかった。

 同研究会の機関誌的役割を果たす『近現代史の授業改革』は「自国の歴史を誇りう るような教育を」というスローガンを掲げ、明治の時代を「ロマンと共感を持って描 きだす」ことが必要だと説いているのだ。しかも、藤岡は明治維新を「偉大なナショ ナリズム革命」と位置付け、日清・日露戦争を全面肯定し、治安維持法すらも「ソ連 の破壊活動から自国を防衛する手段であった」と容認しているのである。

 これはまさ に戦前的な「浪漫主義」「国家主義」丸出しの思想ではないか。さらに戦後の歴史教 育批判となると、藤岡の言動は「狂信的」でさえある。「歴史教科書の基調は日本国 家に対する一貫した悪意に清ちた暗黒=自虐史観に貫かれている」「学校は、実際は 国民全体を反日思想に染め上げ、マインド・コントロールをかける場になっている」 「こんな教科書を子どもに与えていれば、やがて日本は腐食し挫減し溶解し解体する 」といった具合に、である。

 そして、従軍慰安婦問題については、「国内外の反日勢力から持ち出され、国際的 な勢力と結びついた壮大な日本破滅の陰謀」だと、まるてオウム真理教のフリーメー ソン攻撃のような陰謀史観まで披露して見せるのだ。

 いったい、この教育学者がこんな思想を持つにいたった背景は何なのか。藤岡自身は湾岸戦争を契機にそれまで抱いていた「一国平和主義」の幻想が消えた、と格好よ く説明しているが、彼が信奉していたのは「一国平和主義」などという生易しいものではない。

 実をいうと、藤岡ほ学生時代、民青の活勤家であり、90年頃までれっきとした日本 共産党員だったのである。古くから彼を知る友人もこう証言する。

 「藤岡さんはゴリゴリのマルクス主義者で、学者になってからも労働価値説に基づいた教育方法論の論文なんかも書いていたほど。代々木系の日教組の講師団もつとめて いたらしいし、実は彼が北大助教授から東大助教授に移れたのも、そういった日共人脈のコネがあったからじゃないかと囁かれていました。」

 「コミンテルン史観」などと無根拠な教科書批判をしていると思ったら、何のことは ない自分自身がかつて「コミンテルン史観」に支配されていたわけだ。しかも、藤岡 はそうした過去を何ら総括することなく一切頬かむりしたまま、今度はシャアシャア と「皇国史観」「国家主義史観」を説いているのである。前出の友人もこう苦笑する 。

「なんでもベルリンの壁が崩壌したのをきっかけに、共産党を辞めたらしいてすね。 ただ思想は180度変わっても、テレビを見てると体質はまったく変わってませんよ。 昔から自分の持っている結論を強固に信じていて、他人の意見にはまったく耳を貸そ うとしないスターリン主義者でしたから(笑)」
 
 ようするに、藤岡という人物は常に「信仰」がないと、自分が保てない人間なのて はないか。今回の「転向」は自分が強固に信じていた教義が崩壊したことに存在の危 機を覚え、安易に正反対の信仰に飛びついたのだ。そしてまたぞろ、自分の新しい信仰を狂ったように他人に押しつけ始めた--。

 そういう意味では、現在の藤岡の姿は まさに、彼が憎悪する「反日」とやらの陰画にすぎないのだ。

 噂の真相』97年2月号より 「従軍慰安婦」記述を巡る教科書批判の文化人旗揚げ部隊裏の陰謀を暴く!

 
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大江健三郎と清水幾太郎と藤岡信勝の変節


 昔、清水幾太郎という評論家がいたのだが、大江健三郎も清水幾太郎のことは知っているのではないか?とは思う。

 昔は大江健三郎も清水幾太郎に関して肯定的な評価を下していたが、晩年は清水幾太郎が明確な敵になった極右ナショナリストとしてタブーというか大江も毛嫌いしていたのではあるまいか?

 思想家・清水幾太郎は始めは60年安保闘争では左翼的は発言を繰り返して、日本共産党や大江健三郎も好感を得ていた左翼の評論家であったが、60年安保闘争が挫折すると、清水幾太郎は極右というか、憲法改正論者に杓子豹変して、教育勅語や日本の核武装を堂々といい出すようになってしまった。

 新しい歴史教科書をつくる会の藤岡信勝のような左翼から極右に転向した清水幾太郎であるが、かつては大江健三郎も清水幾太郎を平和運動の積極的な発言者として評価していたこともある。

 日本の原発問題や核武装には激しく批判を繰り返す大江健三郎は清水幾太郎の変説というか右翼への転向を江藤淳より、激しく嫌悪していたようにも思えてもくる。
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